プロサッカーのJリーグの発足当初から、日本のスポーツ文化を豊かなものとすることをリーズ全体の理念の柱とし、その理念を具現化するために掲げたスローガンは、スポーツで、もっと、幸せな国へとなっていました。

Jリーグは、興行としての成功にとどまらず、日本国内のサッカーの強化だけでなく、スポーツを通じた地域社会への貢献も目指しており、それぞれの地域にプロのサッカーチームが発足しました。
しかし、人気が急速に高まり、多くのクラブがサッカー事業に焦点を当てる中で、Jリーグチェアマンであった川淵三郎は、理念の具現化を促すために、各クラブに積極的な取り組みを求めたその結果、1996年にJリーグ百年構想というキャッチコピーの基で今も人気のサッカーリーグとして日本のサッカーに大きく影響を与えています。

具体的に百年構想は、健康な人から障害を持つ人まで、誰もが気軽にスポーツを楽しめる環境を目指し、地域に根ざしたクラブを日本各地につくることを目標としています。この長期的なビジョンを持ち、世代を超えたふれあいの輪を広げることが重要視されたリーグという事もあり、プロのサッカーの試合だけでなく地域にも貢献をするようになっています。

Jリーグの成長に伴い、鈴木昌がJリーグのチェアマンに就任し、Jリーグを100クラブにしたいという野望を語りだしました。大企業の支援に頼らずとも、地域の支援だけで十分成り立つことを示すことが重要視された地域に密着した総合型のスポーツクラブを目指し、各クラブがサッカーだけでなく、様々なスポーツの振興に力を注ぐことが求められました。

しかしこの、総合型スポーツクラブへの取り組みは容易ではなく、各クラブはプロから中学生までの複数のチームを運営し、手いっぱいとなっていました。

鹿島アントラーズがバスケットボール教室やテニス大会の運営に参加するなど、小さながらも地道な取り組みが行われることで少しつつリーグとしての成長を見せつつあります。Jリーグは地域総合型スポーツ、文化クラブの設立や芝生のグラウンド整備など、多岐にわたる取り組みを行い、ミスター・ピッチなどのキャラクターを通じてその活動を広くアピールしました。

天然芝のグラウンドや芝生の校庭の増加は、Jリーグの百年構想の成果の一つとして挙げられています。
しかし、Jリーグはまだ百年構想の初期段階にあり、理念の理解が進んでいるとは言い難いので、今後も目先の成功に囚われることなく、地域社会への貢献を続ける必要があります。